
左からスタルヒン、呉波、白石敏男
ヴィクトル・スタルヒン(Victor Starffin , 1916年5月1日 - 1957年1月12日)
ロシア帝国生まれ
1936年、東京巨人軍に入団。背番号は17番。
日本プロ野球界初の外国人選手
191センチという戦前のプロ野球選手のなかでも飛び抜けて大きかった体格を活かした
上から投げ下ろすストレートを武器に活躍。
5シーズン連続最多勝、ノーヒットノーランを達成。特に38年のシーズン42勝(現在もシーズン最多記録)を残すなど、沢村が兵役で抜けた後の巨人支える大黒柱として巨人の第1期黄金時代の立役者。
プロ野球初の通算100勝を達成している。165試合目での到達は2007年現在も破られていない史上最速記録である。
1925年、ロシア革命による日本への亡命。
1939年、日ソ間で大規模な軍事衝突(ノモンハン事件)によるロシア人敵視が高まり
1940年、「須田 博(すだ ひろし)」に改名。
1944年、太平洋戦争の戦況が激化し、「敵性人種」として抑留。そのまま巨人退団を余儀なくされるなど当時の歴史、政治、戦争に翻弄された。
巨人時代(1944年まで在籍)の投手成績は199勝60敗、勝率.762、防御率1.36.
戦後は、パシフィック、太陽、金星、大映、高橋、トンボと球団を渡り歩く。
'57の1月12日、車の運転中に停車中の電車に激突し、40歳の若さで不慮の死を遂げた。
スタルヒン球場
旭川市民にとってスタルヒンは伝説的な英雄であり、その功績を称え、旭川市営球場には愛称「スタルヒン球場」が命名された。球場正面には等身大のスタルヒン銅像が建立している。
1982年9月の命名式に招待された別所毅彦は、球場正面に設置されたスタルヒン像を見上げながら「スタルヒンさんも幸せな人だ。」と笑顔でしみじみと語っていた。
2008年にはスタルヒン氏の長女ナターシャさん(56)が旭川スタルヒン球場での巨人−中日戦で始球式を務めた「父は戦前に巨人でプレーし、戦後はチームを転々としたが、巨人に戻りたい気持ちが強かった。私が始球式で投げるのは喜び以外の何ものでもない」と語った。
1960年、野球殿堂入り







